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F512Masayoshi

Author:F512Masayoshi
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プチ フェラーリ図鑑 (Ferrari Racing days 2012)
[20120319]
プチ フェラーリ図鑑 (Ferrari Racing days 2012)


【Ferrari 166 Inter Vignale Coupe】

IMG_5397_convert_20120319124707.jpg

年式:1950年
エンジン:60° V12
ボア ストローク:60×58.8mm
排気量:1995cc
出力:90HP

最初のFerrari 125からその命名法には1気筒あたりの排気量が用いられた。
ジョアキーノ コロンボの設計を基本にしたエンジンは、年々排気量が拡大されて159を経て166、195、212、そして250にまで至る。
166は1948年から3年までに100台程が作られた。
インテルはストラダーレ(公道用)でコンペティツオーネ(競技用)はエクスポルトと呼ばれた。
カロッツェリア ウ"ィニャーレは戦後にトリノでスタートしたばかりの若いカロッツェリアで天才ジョウ"ァンニ ミケロッティがデザインに携わり斬新な変更の造形に挑戦した。
ENZOはFerrariで独自の個性を生み出したいと言う思いがありトゥリングの次には53年頃まで多くをウ"ィニャーレに委ねた。ミッレミリアでは51年から53年まで優勝者がウ"ィニャーレのボディーを持つ。

【Ferrari 195 S Touring Berlinetta】

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年式:1950年
エンジン:60° V12
ボアストローク:65×58.8mm
排気量:2341cc
出力:170HP

1947年に登場した125に始まる何台かのレース専用車が開発された後いよいよFerrraiの生産が始まろうとする時にそのデザインとボディー製作のパートナーとしてENZOが選んだのは戦前からミラノの名門カロッツェリア トゥリングであった。
それに応えてトゥリングは初期のFerrariを強く印象づける特徴的な造形を施した。
ミッレミリアではトゥリング製バルケッタとベルリネッタが49年と50年と連勝したし、戦後最初のルマン24時間レースでも166トゥリング バルケッタが初出場で初優勝を遂げたのでデビューしてまだ3年目のFerrariの名声がトゥリングの個性的なスタイルと共に一挙に高まった。
トゥリングのボディーのおかげでFerrariはその出発の時から速さ強さ美しさという宿命を背負うことになった。


【Ferrari 250 GT TdF】

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年式:1957年
エンジン:60° V12
ボアストローク:73×58.8mm
排気量:2953cc
出力:230HP

Tdfとはツールドフランスの略称である。フランス各地のサーキットやヒルクライムコースを暦訪しながら5000kmあまりのルートを走る極めて過酷なレースである。
Ferrariは1951年の最初年に優勝し1956年から1964年までに9連勝を果たしている。その活躍はゆえにTdfの名前が与えられたコンペティションモデルである。
250シリーズは1952年のミッレミリアで優勝したコロンボ エンジンから始まる。
ランプレーディー設計のエンジンも登場したが1954年のTipo112以降コロンボエンジンが主流になった。
また、250GTの時代からピニンファリーナがボディーデザインをほぼ独占的に担当するようになり日増しにその協力関係は緊密になっていった。
ただしボディーの製作はモデナのスカリエッティーである。

【Ferrari 166 Spyder Corsa】

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年式:1949年
排気量:1922cc
出力:90HP

【Ferrari 250 GTE 2+2 400SA】

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年式:1961年
エンジン:60° V12
ボアストローク:77×71mm
排気量:3967cc
出力:340HP

ENZOはイタリア人として大きな男だった。Ferrariが強大化していったのはそのENZOの体型ゆえだろうか、それともアメリカのマーケットを意識してのことだったろうか。
いずれにしてもFerrariはエンジンは年を追う毎に排気量が増大していきボディーサイズもふくらんだ。
340からスーパーアメリカまで一連のアメリカマーケットにむけられたランプレーディーの大排気量エンジンを搭載したFerrari
も作られた。
ENZO自身が巨大な車を好んだという言う訳でもないかもしれない。
ENZOが通常使っていた社用車や自家用車はフィアットやランチアの地味なセダンであった。
しかしENZOは力強いエンジンを好みこの250GTEも見かけは普通だが密かにスーパーアメリカ用の大きなエンジンを搭載した試作車であちENZO私用車であった。

【Ferrari 250 GT SWB】

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年式:1961年
エンジン:60° V12
ボアストローク:73×58.8mm
排気量:2953cc
出力:240HP

TdFに続く250GTの新型は運動性能向上のためにホイルベースをそれまでの2600mmから2400mmに縮められことからSWB(ショートホイールベース)と名付けられた。
イタリアでは同じ意味のパット コルトと呼ばれる。その開発に貢献したのがジオット ビッザリーニである。
1959年のパリサロンにおいてSWBは発表された。デザインはピニンファリーナでボディー生産はスカリエッティーである。1963年までに158台が生産された。
エンジンはコロンボのTipo112から進化したTipo168で240HPである。ディスクブレーキが採用された最初のFerrariの一台である。多くのレースで優勝を遂げたが1963年の第一回日本グランプリでも活躍した250GTSWBは最初の鈴鹿を走ったFerrariでもある。


【Ferrari 250 GT California Spyder】

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年式:1957年
エンジン:60° V12
ボアストローク:73×58.8mm
排気量:2953cc
出力:220HP

エレガントなオープンカーとして250GTカブリオレが登場して間もなくもっとパワフルなオープンカーの要望が高まり、それに応える形で用意されたのが250GTカリフォルニアスパイダーであった。
1957年の暮れに登場した最初のカリフォルニア スパイダーのプロトタイプはTdFのオープン バージョンの様な激しい姿形であった、これはそのプロトタイプである。
最初は2600mmのロングホイールベースであったが後期になるとSWBのオープン バージョンの位置づけとなり2400mmのホイールベースに280HPの強力なエンジンが搭載された。
カリフォルニアの名称は1966年から14台だけが生産された大型のスパイダー、365カリフォルニアにも継承された。そのあとは永らく途絶えたが2008年に再びその名は復活した。

【Ferrari 250 GTO】

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年式:1963年
エンジンタイプ:60° V12
ボアストローク:73×58.8mm
排気量:2953cc
出力:300HP

多くの勝利を獲得したSWBを更にレース専用GTとして究極的に開発されたのがGTOである。Oとは当時のFIAレース規定にGTとして認可(Omologazione)される事を目的とした名称である。
SWBに比べてエンジン搭載位置を後退させて重心バランスを中心に近づかせレーシングカーのテスタロッサとほとんど同じエンジンはドライサンプとなりエンジンの重心の位置も下げられた。
テールにはダウンホースを生むエアスポイラーが装着された、以上の開発を担当したのがジオット ビッザリーである。
GTOは1962年から1964年までに36台が製造されてルマン24時間レース ツールドフランス 英国のTTレースなど世界中のレースでGTクラスを越えるポテンシャルを発揮して輝かしい勝利を獲得した。
このGTOは1963年のデイトナ3時間レースでペドロ ロドリゲスが優勝した履歴がある。

【Ferrari 400 Super America】

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年式:1962年
エンジン:60° V12
ボアストローク:77×71mm
排気量:3697cc
出力:340HP

最初のスーパーアメリカはランプレーディー ユニットの発展系で4962ccの410スーパーアメリカだったが、1959年には新開発のコロンボ ユニットの発展型の3967ccのエンジンに換えられて400スーパーアメリカとして再登場した。
410が一気筒あたりの排気量を示すネーミングだったのに400の場合は全体の排気量を暗示するネーミングとなった。
ホイルベースが2420mmに戻された。
スーパーアメリカはその時代の最高峰の市販車であり特別な顧客の為の注文製作で47台が造られた。
今回の展示者はトリノで自動車デザインの会社を興して成功した日本人の実業家永らくイタリアで所有していた車を譲り受けたもので日本でも永らく同じオーナーの元にある。

【Ferrari 250 GTE 2+2】

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年式:1962年
エンジン:60° V12
ボアストローク:73×58.8mm
排気量:2953cc
出力:240HP

1958年の250GTクーペからピニンファリーナはFerrariを自前の工場で生産できるようになり、続く250GTEのボディーもピニンファリーナで生産された。
2600mmのホイールベースだったが、エンジンの搭載位置をこれまでよりも前方に置く事で4人分の居住空間を生み出した。それまで4人乗りのFerrariが製造される事が稀だったから250GTEは4座席を持つ事に存在意義がある最初のFerrariだった。
950台が生産されたのだから250GTEは新たに4座席Ferrariのマーケットを作り出したわけである。
停まってるときにこそかつて無い、温和で端正なFerrariだったがアクセルを踏めばFerrariらしさを瞬時にだし、その出自は誰にも明らかであった。

【Ferrari 330GT 2+2】

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年式:1964年
エンジンタイプ:60° V12
ボアストローク:77×71mm
排気量:3967cc
出力:300HP

250GTE2+2の最後の50台には3967ccの大きなエンジンを搭載されて330アメリカと名づけられた。
330GT2×2はそのエンジンを搭載しボディーサイズも一回り大きくなった。
1964年のベルギー、ブリュッセルショーで発表された。
250GTEはその生産台数からも成功作であったから、その延長戦で企画されたがスタイルが大きくかわり、4灯のヘッドライトをもつ。
翌年には2灯のライトに変更されて穏やかな表情となった。テールは330GTCにも共通するデザインでこれもトム ジャーダによるものだろう。
330GT2+2は1967年までに1099台が生産された。
4座席V12気筒Ferrariは250GTEや330GT2+2にはじまり、その後は365GT2+2、365GTC4、400GT、412、456GT、612スカリエッティー、そして2011年に発表されたFerrariFFまで続いている。

【Ferrrari 250GT Lusso】

skjfmc.jpg

年式:1963年
エンジン:60° V12
ボアストローク:73×58.8mm
排気量:2953cc
出力:240HP

1952年に登場した250GTシリーズの最終型が1962年のパリ サロンで発表されたルッソである。
250GT SWBの豪華バージョンという位置付けとなりホイールベースもSWBとおなじ2400mmである。
エンジンも168Uと呼ばれる250GTの最終型である。
1964年までに350台が生産された。
250GT SWBと250GTOがレースであまたの勝ち星を挙げてFerrari GTの栄光が絶頂に達した時代の威光を一身に受けた幸福なストラダーレモデルである。
ボディーのデザインはピニンファリーナでFerrariのストラダーレとしては初めて、1960年代のレーシングカーのトレンドとなったコーダ トロンカを逸早く採用した。
円形のテールが採用されたのもこのルッソが最初であり、21世紀の599GTやF12ベルリネッタにまで踏襲されるFerrariの特徴となっている。

【Ferrari 275 GTB/4】

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年式:1967年
エンジン:60° V12
ボアストローク:77×58.8mm
排気量:3286cc
出力:300HP

Bとはベルリネッタの事だが、4ドアセダンを意味するベルリーヌに対して2ドアクーペの意味でFerrariは使用している。
1964年のパリ サロンでスパイダーの275GTSとともに275CTBとして発表されたが翌年1965年にはデザインが改修されてロングノーズとなり全長が85mmのびた。
また1966年にはエンジンが一新された。
SOHCからDOHCになりそれまでの左右1本づつのカムシャフトが2本づつ合計4本になった事から車名に4の数字が付け加えられた。キャブレターもルッソやGTBでは3基だったのがGTB/4では標準6基となっている。
275GTBはトランス  アクスルと独立懸架のサスペンションが採用された最初のストラダーレでハンドリングが向上した。
CTB/Cと呼ばれる競技用車やGTOの後継車となるレース専用GTとしてスペチアーレと呼ばれるモデルも開発した。

【Ferrari 330GTC】

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年式:1966年
エンジン:60° V12
ボアストローク:77×71mm
排気量:3967cc
出力:300HP

330GTCは1966年のジュネーブ ショーで発表された。落ち着いたシックなスタイルを持つ紳士のためのFerrariである。
カロッツェリア ピニンファリーナのデザインはおそらくトム ジャーダ担当したのだろう。
特にテール造形にジャーダらしさがある。
1968年には排気量が増大した365GTCに替わった。またスパイダーも作られたが、それは先行した275GTSの後継者と言う位置づけでもあり、330GTSに移行した。
GTCの玄人筋では評価は高く訳知りの愛好家からは好まれる大人の為のFerrariである。
ENZO自身が愛用したのもGTCである。
生産台数は330GTCが600台、365GTCが150台である。


【Ferrari 365GTB/4】

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年式:1969年
エンジン:60° V12
ボアストローク:81×71mm
排気量:4390cc
出力:352HP

1968年のパリ サロンで275GTB/4の後継車として発表されたのが365GTB/4であった。
Ferrariの頑丈なフレームは最初の125から365に至までその類型の発展型だがピニンファリーナのレオナルド フィオラパンテによって最終的に完成したデザインは275GTB/4までのFerrariとは融絶したかの様な新鮮なデザインであった。
たしかにロングノーズの古典的なプロポーションだけれどもその全体デザイン及び細やかなディテールに至まで意欲的で全く新しい造形の創造であり、革新が時代の符牒だった1960年代末にふさわしいスタイルであった。
1967年のデイトナ24時間レースを記念していつのまにか365GTB/4はデイトナと言う愛称で呼ばれる様になったが、356GTB/4もレースし仕様が用意されルマンやほかならぬデイトナなどで大活躍した。

【Ferrari 365GT/4 BB】

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年式:1974年
エンジン:水平対向12気筒
排気量:4390cc
出力:380HP

Ferrari 365BB(ベルリネッタ ボクサー)はV12でなくフラット12気筒のエンジンを縦に置いたマシーンである。
Dino246GT(V6)やDino308GT4(V8)ではエンジンを横置きにしたが、エンジンの音はクランクケース側面からのメカニック音が殆どで、キャビンではエンジンの音色が大きくなる。
これを防ぐにも縦置きが選ばれた様だ。
F1やスポーツカーレースではインジェクションに多年の経験を持つFerrariだが生産型では未だにウエバーの気化器に固執している時代であった。
点火系についてもマレリのディストリビューターが採用されている。
スーパーカーブームでFerrariの代表的なマシーンの存在で多くの人に記憶されているマシーンである。

【Ferrari Dino 206GT】

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年式:1968年
エンジン:65° V6
ボアストローク:65×58.8
排気量:1987cc
出力:180HP

ENZOの息子DinoはV6型エンジンを構想しており、それ故にFerrariの6気筒はDinoと名づけるようになった。
1958年にはDino246に乗るマイク ホーソンがF-1世界チャンピオンとなり、スポーツカーレースでも246SP、166SP、206SPなどが活躍した。
またF-2やタスマン シリーズでも優勝を重ねた。
だからFerrariのレースの歴史においてDinoは輝かしい戦歴をもっている。
ピニンファリーナではアルド ブロバローネが中心となってDinoのスタイルを創造した。
1967年からDino206GTの生産が始まったが生産型Ferrariとしては初めての横置きエンジンでミッドシップであった。
206GTは1969年までに150台が生産されたのみである。
その後はエンジンをアルミブロックから鉄ブロックに変更しホイルベースも延ばした246GTとなり246GTSとあわせて3761台が生産された。

【Ferrari SP-1】

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年式:2008年
エンジン:90° V8
ボアストローク:92×81mm
排気量:4308cc
出力:490HP

かつて自動車のボディーは顧客の注文によりカロッツェリアが製作することが多くその優美なデザインを競い合うコンクール デレガンスも1920年代パリの華やかな社交界で生まれたが、第二次世界大戦後には自動車産業の構造が変わり、1950年代以降に目利きの顧客達の注文に応えて、性能もさることながらスタイルも美しい特別注文の車を作り上げて提供出来たのはFerrariとマセラティーくらいのものだった。
それはイタリアならではの美への優れた感性と造形力とを併せ持ったカロッツェリアの存在があっての事だった。
しかしFerrariにしても60年代後半以降そう言う個別の注文を引き受ける事はなくなっていた。
それがFerrariをこよなく愛するオーナーFerrariの真髄を知るデザイナー(レオナルド フィオラパンテ)とFerrari社が三位一体となって実現したのがSP-1でほぼ半世紀ぶりのビスポークFerrariの復活であった。




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2012-03-19(Mon) 14:30 Ferrari | 編集 |

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